人を育てるということが難しい理由と、育成方法とは?

自己改革

皆さまこんにちは
真裕ライフクリエイトの小松です。

五月初旬において、20度を超える日もあり
昨年同様に、今年の夏も暑くなるんだろうな・・って思ったりします。

さて
個人的な問題は他人がいる事に起因すると
かのアルフレッドアドラーも言っていますが

「この社会との関わりを持つことは、すなわち他人と関わりあう」

ということです。

自分ひとりで、この地球上で生きていく
食べ物は自給自足ならば可能かもしれませんが
公共財を利用するにも税金が必要で
それを納める義務が国民にあるということは
何かしらでお金をかせがなければならなくなります。
公共財を利用しなくとも、義務を免れることは無理ですしね。

このお金というもの
それは他人との接点がなければ発生してこないことを考えると
生活するということは
外部との関係を断つことは、まず不可能で
否応なしに関係を持たざるを得ないということになります。

ここが
個人的な問題は他人に起因するところでもあるわけですね。

このことを踏まえ
少し職場での人材育成について考えてみましょう。

育成する側、つまり教える側にある人で
僕が特に多いなと感じるのは下のループです。
なぜループかというと
教える側の答えが一つしかないので
それが解決するまで無限に繰り返されるということからです。

「自分が正しい」
  ↓
「私のやり方が正しいので、それをやらせようとする」
  ↓
「相手はできない」
  ↓
「怒る」

このループにおける基本的な考えとして
「皆が私と同じようなレベルになり、それができるという事」
といった間違った考え方があるからです。

ここ数年で、いくらか取り上げられるようになりましたが
LD(学習障害)の方、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の方もいたり
そもそも個人的な能力がここ違うわけですから
教える側と同レベルを期待して教える事自体
根本的に間違っていると言わざるを得ません。

これはリーダーまたは管理職だけの話ではなく
先輩後輩の関係や、単に教えるという段階で
より注意して頂きたい事案だと考えています。

またこのループで解決されないことが
自己のそもそもの考え方に起因することが理解できないでいると
その責任を外部に移転しようというのも見られます。

つまり
「私が一生懸命教えているのに、できないということは
  他に誰かに問題があるんだろう」といった事です。

では正しい育成方法とは何か?を少し考えてみます。

まず個人個人の能力に差があることを前提にして
ある一定のレベルを設ける事を避けなければなりません。

日本という国でみると、オールマイティーな人材を育成しようという風潮がありますが
それは個人の能力差を除外した育成方法です。
能力差を無視した教え方では
いくら時間をかけて同じことを教えていても
教える側は上記のループにハマりストレスとなり
教えられる側も努力しても覚えられずストレスとなり
最終的に両者の関係は破綻していくはずです。

それを回避するには
まず個人の能力を見極めるということが必要で
その能力に見合う仕事の割り振りや配置をすることが
まずは基本です。

その上で、そのポジションや作業上での能力を向上させることが
個人差のある育成の一番の近道ではないかと考えます。

「向日葵は、どう頑張っても薔薇にはなりません」

そうではなく

「向日葵は向日葵らしく、黄色く咲いて欲しい」

人を育成するということは、単に教えることだけではなく
教える側の器量に左右され、それこそ忍耐や努力が試されるので
これほど難しい事はありません。

また
自分の考え方が全てではなく
それ以外にも多様な方法がいくつもある
そして他人へ責任回避を行うのではなく
教える側の自己責任であると自覚しなければいけません。

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