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死とは一体何であるかという問いかけ

僕は暫く「自分が生まれてきた意味」というものを模索してきた中で
「死」というものも一緒に考えていかなければならない、そう考えています。

なぜなら生まれるとは、いずれ死ぬ事でもあり
この両者は同時進行で、同じ線上にあるものだからです。

そう考えた時、一つの疑問が生じてきませんか?

「いずれ死を迎えるのに、なぜ生まれてこなければならないのか?」

人生が良い事だらけであれば、この問題を深く考える事もあまりないかと思いますが、人生が楽しめない、嫌な事ばかり起こると考えている場合は

「なぜ生まれてきたのか?」という疑問が真っ先に生じてくると思います。

日頃の人生に対する思考などは、いったん脇に置いて

生まれてくる意味について考えていきたいと思います。

さて、では「死」とは何か?

「死ぬ」ということはどういう事なのか?を考えていきましょう。

僕たちの身体が寿命を迎えて、脳も含めた各機能が停止した時

私たちは「死」を迎えたと考えてもよいでしょう。

「※死の定義は、医療の分野も含めるととても複雑になってきますので

生を説明するにあたり便宜上ここでは、脳を含めた各機能の停止としておきます。」

では、「死」という現象が起こるとどうなるのか?

当然のことながら、私たちは何もできなくなります。

「死」というものを「何もできなくなる状態」とした時

「生きている」ということは、すなわち「色んな事ができる状態」ということになります。

脳や五感を使い、身体を使い、そして感情を体験できるという事です。

そう考えた場合、生まれてきた意味というのは

この機能を使ってどのような体験をするか?という事が重要になってきそうです。

肉体と魂が別々のモノという二元論的な考え方もあります。

魂は不滅であり、輪廻転生を繰り返し、魂の成長が目的で生まれてくる。

ただこれに関しては、まだまだ確たる証拠がないので

僕としては、前者の活動して体験をするためと考えるしかないのです。

脳もある程度成長をした段階でないと

自己を自己として捉えたり、あるいは思考できない事を考えると

二元論的な考え方にはどうしてもなれない。

脳が成長して、ようやく自覚ができるのだから

現段階では身体と心は共同体として共にあるとしか言えない。

さて、話しを戻すと

この「生きる」というものは、脳や身体を上手に扱い、どのような体験をするかではないかと思います。

しかし、人によって体験は様々であり、その体験への意味付けもまたしかり。

体験や経験がその人にどのような感情を与えるのかという事は

「生きる」という中では重要な位置づけを占めると考えられます。

この「生きる」中で受け取る感情が

自分にとって不幸だと思わざる負えないモノばかりであれば

本人にとって「生きる意味」というものはどうでもよくなってしまう。

毎日幸せを実感しながら生きている人がいる中で

毎日幸せを感じられない人もいる事は事実である。

一体、何が違うのだろうか・・。

幸せといっても、それは千差万別で

人それぞれ違う事はみなさんも承知していると思う。

とすると

一つ目は「自己にとっての幸せ」を十分に認識できているか?という点にあるのではないか?

自分にとっての幸せが不明瞭で、日々生活を送る人と

幸せが明確で、毎日それを模索しながら生活をしている人とでは

やはり「目標」があるかないかの違いで、考えも行動も違ってくるのは言うまでもないかもしれない。

となれば、自分にとっての幸せを模索し、それを元に考え行動して生きることが「生きる」事の一つであると言えるのではないか。

二つ目は、身体のベストを保つ事だと思っている。

脳が機能していても、身体の機能が動かなくなってしまえば

つまりそれも生きていることにはならないと思う。

つまり、身体を健康に維持する事も「生きる」事だと言える。

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